パブリカ他、昭和38年、自動車カタログ買取|名古屋市昭和区
2025年10月14日
◆買取品情報
| ジャンル | 鉄道・自動車・オートバイ |
|---|---|
| アイテム名 | 各社の旧車カタログ昭和38年~昭和40年代前半。 |
| 買取方法 | 出張買取 |
| エリア | 名古屋市昭和区 |
◆買取詳細

2025年10月14日(火曜日)
まだまだ全国的に残暑厳しい折にお伺いしました。
しかしながら本日14日は肌寒く、クローゼットに半袖を片付け、代わりに長袖を出してきて、ようやく衣替えを完了です。
かつてレコード店を営まれてみえたお客様が、倉庫の整理をされていろいろ出てきたと、お電話を頂きました。
昭和40年代頃の自動車カタログ、家電店の販促グッズ等、場所はお近くの名古屋市昭和区との事で、他のお客様とのお約束も無かった事から、すぐにお伺いする事が出来た次第です。
カーナビゲーションが指し示した場所付近に到着したところ、倉庫前にはビニールシートが敷かれ、その上にダンボール箱に入った様々な品が置かれています。
片付けの真っ最中といった塩梅で、周辺には蚊取り線香が焚かれていて、ありがたい限りです。
この度のブログではお売り頂いた昭和30年代~40年代前半の自動車カタログを紹介してまいります。
昭和30年代~40年代前半の自動車カタログ
プリンス スカイライン1500デラックス
2代目、S5型(1963年(昭和38年)~1968年(昭和43年))
こちらの2代目の途中~7代目の終盤までをGTRの生みの親と呼ばれている桜井眞一郎が開発責任者(主管)となります。
(病に倒れ、退院後は8代目スカイラインGTRの4WDシステムの元となる車両のMID4の開発の陣頭指揮に立ち、その後はオーテックジャパンの社長に就任)。
桜井はたま自動車時代の初代プリンス・スカイラインから携わっており、ミスタースカイラインともスカイラインの父とも呼ばれ、伝説的なエンジニアとして知られています。
1961年(昭和36年)富士精密工業~再びプリンス自動車工業へ社名を変更し、5年後の1966年(昭和41年)に日産自動車と合併します。
こちらのカタログは合併前のものとなります。(昭和40年5月)。

トヨペット コロナ マークII
初代 T60/70型(1968年(昭和43年)~1974年(昭和49年))
こちらのカタログはコロナ マークⅡの総合カタログでセダン、2ドアハードトップ、ワゴンまで収められています。
高級車クラウンと大衆車コロナの中間の位置に用意されました。
まだクラウンまでには手が届かない層に向けて売り出され、3代目コロナをベースに上級モデルとしてマークⅡは産み出されます。
排気量1900CCでライバルの日産ローレルは1968年(昭和43年)4月に売り出されており、5か月後の9月に満を持してマークⅡは発表されました。


青色のコロナマークII のカタログの上には月々2000円でパブリカが買える!のキャッチコピーが踊り、時代を感じさせます。
初代パブリカは当時国が推し進める国民車の要綱に沿って開発されました。
1961年(昭和36年)~1969年(昭和44年)
アイキャッチ画像はパブリカのコンバーチブルです。
オープンカーのほうがわかりやすい表現かもしれません。
販売当初は価格設定の為、内装が簡素でセールス的には苦戦を強いられましたが、徐々にデラックス版を用意する等、
内外装の高級感を高める事に成功し、販売台数は飛躍的に伸びてゆき、メーカー発表ではありませんが、20万台以上を販売したと言われています。
トヨペット・コロナ三代目T40
こちらのカタログはトヨペット・コロナ三代目T40となります。
ダットサン・ブルーバードと熾烈な販売競争を繰り広げ、抜きつ抜かれつのデッドヒートの末に1965年(昭和40年)末には盤石の1位を獲得し、1968年(昭和43年)同社のカローラに敗れるまで、独占しました。
トヨタが総力を上げて打倒ブルーバードと挑んだ二代目でしたが、未舗装路が多かった当時ではタクシーで酷使されると足回りの強度不足が露呈します。
1年も経たないうちに販売台数が伸び悩み、乗用車メーカーとして2位の座に甘んじる事になってしまいました。
この時の苦い思いを噛みしめて三代目では新設計された足回りで振動、騒音を低下させ、乗り心地、居住性を高めます。
そして次に、発表早々「10万キロ連続高速走行公開テスト」を実施します。
58日間で10万キロを完全走破し、高速性能と耐久性をアピールして先代との違いを際立たせたことから人気が急上昇。
その結果、前述の通り、宿敵ブルーバードを首位の座から追い落すのでした。


トヨペット・トヨエース(2代目)
こちらのカタログはトヨペット・トヨエース(2代目)となります。
最終型ではご覧の通りヘッドライトが丸型4灯式です。
こちらの2代目も昭和34年~昭和46年に3代目が発売されるまで長期間に渡り、改良を重ね販売されました。

現在とは異なり、なかなか気軽にカタログをもらう事が出来ない時代です。
ただやはり大衆車ですので、何度か商談を重ねるうちに頂く事は出来たそうです。
しかしながら現在の貨幣価値で1500万円~2000万円ともされるトヨタ2000GTは、
カタログといえども、入手困難で、当時のままの復刻版が発売されるほどの人気がございます。
お宅でもお探しになられれば当時のカタログが出てくるかもしれません。
昭和30年代~昭和40年代の自動車のカタログが一定量出てきましたら、
ちょっとしたお小遣いになりますので、ご処分される事無く、買取してもらい有効利用致しましよう。
いくらでもカタログがもらえるようになった年代ですと価値がまったく無い場合もございますので、
あらかじめご了承下さい。
2輪(オートバイ)は人口が自動車と比較して少なく、またカタログも簡素な数ページという事もあり、
淘汰された結果1980年代でも車種によっては買取が可能な場合もございます。
宜しくお願い申し上げます。
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